「我」を忘れた日本語、「我」にこだわる英語
英語の勉強をして、何とか読めるようになったし、聞けるようにもなった。でもいざ自分で話す、書くをするとなんだか不自然な表現になってしまう。
何がおかしいのか。伝えたいことを英語にしてみたものの何がおかしいのかわからないけれど、なんとなくシックリこないという経験はしたことありませんか。
ほんの少しだけ気をつけることで、グッと自然な表現になる、英語の表現のポイントについてまとめてみました。
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主体がどこにあるのかを考えるだけでグッと変わる
日常会話の中で「昨日の晩御飯何だった?」という何気ないフレーズでも、日本人がおちいりやすい落とし穴があります。
What did you have(eat) for dinner last night?
という問いに対して何と答えますか?おそらくI had(ate) ~と答えるでしょう。日本の英語教育の中で、システマチックに刷り込まれた返答テクニックを用いればいとも簡単に正しい返答ができるでしょう。でもいざ自分から今日食べた夕食についての情報を発信しようとすると、次のようになってしまう人が少なからずいます。
Yesterday’s dinner was ~
確かに今日の夕食は~と日本語的に考えると、主語は「今日の夕食」なので間違いではありません。ですが英語の世界では必ずしも間違っているわけではない(伝わらないわけではない)ですが、違和感たっぷりなのです。
何が違和感なのか。それは主体がないからです。誰が食べたのか。これを明確にすることが英語におけるルールのなのです。なので「いつ」という情報はあくまでも補足的な内容であり、主体ではないのです。ポイントは、「だれ、何」が「どうした」を明確にすることなのです。
コップが自発的に壊れることはない
コップを落として割ってしまった時、私たちは「コップを割っちゃった」と言います。それではこれを英語で表現してみてください。
The glass was broken.
または
The glass broke.
実はこれらの表現は少し不自然な表現なのですが、何が不自然なのかピンときますか?
まず前者は「誰が」コップを壊したのかがわかりません。その割れてしまったコップは自分で割ってしまったのか、または第三者により割られてしまったのか。日本語では割れてしまったという事実が伝わればそれでよいのですが、英語ではコップが割れたという事実に対し、その主体を求めます。
自分で割ってしまった場合は
I have broken the(my or whose) glass.
と表現するのが妥当でしょう。「コップを割っちゃった」という言葉には「私が」が抜け落ちているのです。これは日本語の最大の特徴とも言える、主語の欠落です。「何が」+「どうした」という英語の基本で考えると、
I broke ~
という表現になります。
もし気に入っているコップを誰かに割られてしまったと言いたければ、
My favorite glass was broken by my husband.
などと言っても良いでしょうね(笑)。この場合は主体がコップがになるので、大切にしていたグラスがダンナ様に割られてしまったという少々嫌みたらしい表現になります。
コップが自発的に割れることは決してないので、必ず割った人(主体)を主語として文章を組み立てます。
窓から見えるきれいな景色
部屋からきれいな景色が見えるといったことを誰かに伝えたい場合、どう表現しますか?
A beautiful view can be seen.
これは間違いではありませんが、やはり違和感があります。間違ってないじゃないと言う人もいると思いますが、確かに間違いではありません。でもこの表現ですと、まるで景色が意思をもって視界に入ってきたというニュアンスになってしまいます。
やはりこの場合も主体は「見ている人」であり、景色ではないのです。
I can see a beautiful view.
と表現したほうがグッと自然になります。
天気の場合はどうするの?
社交辞令的に「今日は天気がいいね」なんて会話は英語圏でもよくある会話の一つです。これまで主体、主体と言ってきましたが、では天気のような場合の主体はどこにあるのでしょうか。
この場合の主体は天気にあるので一般代名詞である「it」を使います。
It’s fine today, isn’t it?(今日は天気がいいね)
It’s too hot today, isn’t it?(今日はすごく暑いね)
となります。ここで注意しなければならないのが、主体はあくまでも今日ではなく、天気であるということです。Today is fine.とはあまり言いません。
主体をつかめば英語表現はグッと楽になる
日本語を学ぶ英語圏の人たちが最も苦労するのが、この日本語の主語の曖昧さだと言います。逆にその主語が曖昧な日本語ネイティブな私たちが最も苦労するのが、この主体の捉え間違いです。
誰が(Subject)+どうした(Verb)をまず伝えることが、スムーズな会話のポイントとなります。
慣れてしまえば英語での会話の方が単純明快で変なストレスがないと実感しています。バイリンガルの息子と喧嘩をする時は英語になるのはそのせいかもしれません。お互いの感情のぶつけ合いにはもってこいですから(笑)。
あえて主語が曖昧に変化していったのは、侘び寂びを重んじる日本文化の象徴なのかもしれませんね。